第7回 僕たちは東京スカイツリーだ~塔から考える2010年代論

第7回 モダニズム建築・ポストモダニズム建築・それから……?

 

前回は東京スカイツリーの特性を、構造の面から東京タワーと比較しつつ語ってきた。東京タワーがシンメトリーで美しい四角錐の構造を持ちながらどこから見ても同じように見えるという特性を持っているとするならば、ずいぶんと前に確認したように東京スカイツリーはどこから見ても異なる形に見えるという構造を持っていたのでありそれによって「読み替え」の想像力が単純な懐古主義的な方向性に陥ってしまうのを防いでいるのではないか。それが前回までに僕たちがたどり着いた結論であった。

 

それで今回はこの東京タワーから東京スカイツリーへという変化を単なる印象論ではなく、建築史的なコンテクストに置きながら捉えなおすことを目的としている。さて、そのように考えたときに僕たちはまず東京タワーを設計した「構造博士」と呼ばれた内藤多仲(ないとうたちゅう)のことを考えなければならない。というのも彼を巡る1エピソードの中に僕たちは東京スカイツリーを考えるためのヒントを見出すことが出来るからである。それはこんなエピソードだ。内藤は建築家ではなく、構造学者として東京タワーの設計に携わることになった。彼は日本における耐震技術の権威として若い頃、いかに強固な耐震構造を作り出すのかということを常日頃から考えていた。そんな折、彼がアメリカへの旅行中のこと。トランクに入れた荷物に仕切りを入れなかったためにトランクの中の荷物が一か所に移動して集中し(つまりトランクの荷物が変形し)、トランクが壊れてしまったことから物が丈夫な構造を保つためには「変形」を限りなく減らすことが肝要なのだということを彼は悟り、そのアイデアから東京タワーを始めとする日本の多くの建造物の設計を行っていったのである[1]

ここで僕たちが注目しなければならないのは内藤が「変形」を避けようと考えたことである。一方で東京スカイツリーは次のような特徴を構造面で有している。

 

(東京スカイツリーの)周囲の鉄骨トラスと中央のコンクリート部分は、固定しつつも間に1メートルほど「すきま」を設け、コンクリート部が独自に動くようにダンパーで緩やかにつないだ。塔体と中心の柱が、それぞれ違う周期で振動することで、塔体が左に揺れると中心の柱は右へ、塔体が右に揺れれば中心の柱は左へといった具合に、両者が揺れを相殺し、全体として制振できる。[2]

 

まさにこのように東京スカイツリーの中心部は「おもり」を携えているかのように絶えず揺れ動き、「変形」し続ける。この仕組みを「質量付加機構」という。より詳しく見ればこのような違いを「変形」というファクターからそこに発見することができ、ここにも東京タワーと東京スカイツリーをめぐる対立を発見することが出来るが、この対立を建築史的なコンテクストで言うならば(きわめて粗暴な対立の作り方であることを承知の上で)モダニズムとポストモダニズムの違いに還元することが出来るだろう。モダニズム、およびポストモダニズムとは何か。これは一言で表すことが出来るような対立ではないが、ひとまずは内藤の師匠であった佐野利器の『建築家の覚悟』を引いてみよう。

 

「如何にして最も強固に最も便益ある建物を最も廉価に作り得べきか」の問題解決が日本の建築家の主要なる義務でなければならぬ、如何にして国家を装飾すべきかは現在の問題ではないのである。

 

佐野が簡潔にまとめているように、彼が重要視したのは「どのように一つの建築物を効率的かつ経済的に作るのか」ということであってそこに「装飾」は必要ないのだと主張する。この「装飾」をめぐる態度は例えば一般に「モダニズム」の建築家であると称されるアドルフ・ロースの「装飾は犯罪だ」という強い提言にも表れているだろう。つまりモダニズムの建築は徹底的に効率を重視し、そこに「装飾」のような不要なものは必要無いという考え方を取るわけである。東京タワーの文脈に落とし込むならばその塔の設計者としてしばしば「建築家」ではなく「構造博士」の内藤多仲が取り上げられることがこの事態を良く表している。佐野の弟子であった内藤は、「変形」というモダニズムが目指す単純性を打ち壊すような複雑性を招くものを排し、東京タワーにおいて最も効率の良い耐震構造法で装飾を拒絶した「モダニズム」の塔を作り上げ、だからこそそこには前回僕が語ったようなシンメトリーでどこから見ても同じ形に見える、つまり同一で単純な形を皆に提供する塔が立ち上がったのであってそれはまさに「モダニズム」が持つ思想の一つの側面を体現していたからこそそのような形を取ったのである。

 

それに比べると積極的に「変形」をその構造に取り入れ、複雑性をそこに出現させる東京スカイツリーは全くモダニズム的ではなく、むしろモダニズムの単調さを打破しようとしたポストモダニズム的な思想を体現しているかのように見える。ポストモダニズムが目指そうとしたものはこれもまたひどく単純な図式化に収斂させてしまうことを承知で言うならば、モダニズムが目指したものの反対を標榜していたのである。つまりモダニズムの単純性、効率性、単一性、シンメトリー性に対して、複雑性あるいはカオス性、非効率性、複数性、アシンメトリー性を持ち上げたのである。例えば――現在ではその議論の粗雑さから触れられることは少なくなってしまったがポストモダニズムの当初の企図を良くも悪くも最もよく表していることから引用するが――C・ジェンクスが『ポスト・モダニズムの建築言語』の冒頭で歌舞伎町の2番館という非常に猥雑なデザインを持った商業建築を例示していることにポストモダニズムの思想がよく表れている。

 

歌舞伎町にある「2番館」(http://www.arcstyle.com/tokyo/202_2bankan.htmlより)

 

歌舞伎町という混沌としたカオスな都市、それからモダニズムではありえないような(露悪な?)装飾に満ちたデザイン、あるいは有名建築家の手に依らない、つまり固有名で語られることのない商業建築。それこそがポストモダニズムが良しとした建築タイプであり、これは極端な例としても、丹下健三が1991年に作り上げた新東京都庁舎は有名なポストモダン建築として賛否両論の評価が下された。そこでは中世のゴシック教会を思わせるような複雑な形態を持ったコンクリートの双頭が全体のモチーフとなっており、東京スカイツリーが複雑でどこから見ても異なる姿をさらすのと同様にこの建築もまた見る視点によって様々な観点を僕たちに提供する。

 

ここで次回に向けた問題がまたもや浮上する。極めて単純な疑問だ。
つまり、東京スカイツリーはポストモダン建築の系譜に属しているのか?という疑問だ。

 

モダニズム/ポストモダニズムという二項対立の圏内に東京スカイツリーは巻き込まれているだけなのだろうか?僕の予想は否、である。東京スカイツリーにはより複雑な、もっと言うならばこの二項対立を超克するような特徴があるというのが僕の考えである。ではそれはどのような点においてなのか?次回の焦点はそこに置かれるだろう。やや時数をオーバーしてしまったようだ。今回は建築史の概略的な側面がやや強くなってしまったがしかしそれもまた無駄ではない。今回の議論を踏まえながら次のステップへ、僕たちは、そして東京スカイツリーは進んでいくだろう。

 

脚注

[1] 鮫島敦『東京タワー50年 戦後日本人の“熱き思い”を』、日本経済新聞出版社、2008年、pp.113-115を参照。

[2] 日本経済新聞出版社編『東京スカイツリー 完成までの軌跡』、日本経済出版社、2012年、p. 64。

 

前回の記事はこちらから↓↓↓

第6回 僕たちは東京スカイツリーだ~塔から考える2010年代論

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