『紀州のドン・ファン~美女4000人に30億円を貢いだ男』 前編

 

まったく日本中どこを探しても「紀州のドンファン」の自伝を読みながら附箋を貼っている人間なんて自分ぐらいなものだろう。この本、あまりにもくだらなくてついつい後で見返したくて附箋を貼ってしまうのだ。参考書でもあるまいし嫌々附箋を貼っているわけではない。一部の人には参考書のように使われてるのかもしれないが、それにしたって彼の生きざまは参考とは到底言えないほど壮絶だっただろう。

 

紹介が遅れた。今回の書評は野崎幸助『紀州のドン・ファン』(2016)である。

 

何かと世間をお騒がせな紀州のドン・ファンだが(こんなことを言うと不謹慎である)知らない人もいるだろうから紹介しておくと、この野崎という男、別名「紀州のドン・ファン」は実業家にして人生で4000人余りの女性を抱いたというただの助平おじさんである(野崎幸助の名前の由来は「幸せな助平」だとか違うとか……)。この本はそんな助平おじさんが自分自身の半生をもっともらしく語るというただそれだけの本である。

とはいえ彼の人生は先ほども書いた通り起伏に富んでいて、さらに彼独特の(最低な)下ネタギャグもときおり挟み込まれるので読んでいて飽きない。例えばこんな一文がある。

 

直に会えばわかってくださると思いますが、私は傲岸不遜な男ではありません。それどころか小柄でひ弱で小心者で、人様を怒鳴りつけることもしません。腰は低いと思いますし、ただ腰を動かすのが好きな小市民なのです。

 

この一文は私がこの本の中で最も好きな一文である。なんというか、この文章だけでドン・ファンに好意を持ってしまいそうなそんな書きっぷりである。なるほど、これが女性を落とすテクなのか……?と思いつつ、自分が男であったことをふと思い出して安心する(?)

 

こんな冗談めいた言葉に彩られた本書は確かに話題性だけはあったし、ただ面白がって読むのもいいとは思う。しかし個人的に気になったポイントがいくつかあったのでそれらを列挙しながら、せっかくなのだからこの本のまた異なる魅力を素描してみようと思う。

 

「紀州のドン・ファン」という彼のあだ名は何となく語呂がいい。もちろん、ドン・ファンとて野崎のように幾多という女性を抱いたのだし、野崎自体が和歌山の農村生まれであるのだからこのあだ名は何も間違っていない。しかしその二つの事実がドッキングして「紀州のドン・ファン」というあだ名が誕生したとき、その言葉は単純に二つの事実をつなげた以上の意味を何となく持っている気がするのだ。

つまり野崎は「紀州のドン・ファン」と呼ばれなくてはいけないと思えてしまうような、謎にフィットする感覚があるのだ。

 

このような漠然とした考えを抱いていたのがこの本を読んでそのしこりが取れるような思いがした。それは「紀州」という言葉にその多くを負っていたのだ。

「紀州」。

この土地を表す単純な言葉がこの本のあるエピソードと共鳴したのだ。

 

それは野崎の童貞喪失エピソードという誰得なのか全く理解出来ないエピソードと、その後の和歌山時代の初期セックスエピソードだ(なんだか、書いていて情けなくなる)。

 

野崎が童貞を喪失したのは14歳のこと。それは祭りの夜だった。地を鳴らす太鼓の音が響き渡るそんな夜だったらしいそ。そんな中で彼は幼馴染のみゆきちゃんと「一緒に勉強する」という名目で畑の作業小屋(土着的だ!!)に入り、無我夢中でみゆきちゃんをものにしたのだという。それは「ムードも何もないエッチ」だったらしい。

 

彼の初期セックスエピソードには決して都会のシティ・ホテルで美しい夜景を眺めながら行為に至るというようなオシャレで洗練された雰囲気は全くない。むしろ和歌山の農村で行われる汗にまみれた土着的なセックスの様相がそこからは喚起される。それを顕著に表しているのが、彼が財産をなす基盤となったコンドームの訪問販売での、実演販売というエピソードである。

これは読者諸氏の嫌な予感を裏切ることなく、コンドームを実演、つまりコンドームを実装して販売するという訪問販売の手法である。なるほど、そんな手があったかと援交をするサラリーマンの方には寝耳に水かもしれないが、しかしこの手法、和歌山の農村にあっては大変な苦労を要するものだったらしい。なにせ時代は40、50年も前のこと。

しかも売りに行く相手は都会のマダムではなく、農家の奥様方である。

 

野崎曰く「色白、華奢で憂いがあるような農家の奥さんなど、官能小説でしかお目にかか」らないらしく、大抵は日焼けをし、体格がよく、少し肉付きのあるお世辞にも美しいとはいえないような女性ばかりだったらしい。しかもある奥様など腋臭持ちで鼻がまがりそうなほどの匂いを体から(匂いではなく臭いの方がいいか?)発していたらしい。農家での実演販売はコンドームを売るという経営目的のもとでかなり苦労もある作業だったらしい。

 

そしてこのような野崎の性行為に関する記述を見たときに僕がふと思い出していたのが、あの『軽蔑』や『十九歳の地図』などを書いた作家、中上健次のことであった。

(後半へ続く…まさかの。)

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