土居伸彰『21世紀のアニメーションが分かる本』

【連続レビューシリーズ・20年代のためへの思考レッスン】

2010年代が終わろうとしている。2020年代はもうまもなくやってくる。

私たちは十分に2010年代を生きただろうか。僕はそうは思わない。まだ、2010年代が一体何であったのかを知ることなく何もかもが混沌としたまま(まるで2020年の東京オリンピックに向けた準備であるかのように)2020年代を迎えようとしている。もしかすると今は2010年代を振り返ることの出来る最良の時期なのかもしれない。2020年代になったらもはや僕たちは2010年代の記憶など忘れてその時代を生きるだろう。でも今はまだ2010年代である。そこであらためてこう問いたい。

 

2010年代とは何であったか?と。

この明快だが複雑な問いに対して私たちはいくつかのジャンルの作品をレビューすることで答えようと思う。この連続レビューシリーズは改めて2010年代を考え直し、そして来るべき2020年代のための考え方を養う思考のレッスンである。

 

 

土居伸彰『21世紀のアニメーションが分かる本』(フィルムアート社 2017)

 

この前のレビューで僕は2008年に刊行された宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を取り上げた。そこではポスト・モダン社会の後に訪れるサバイバル社会から脱しなくてはいけないと語りつつ、しかし著者である宇野自体がそうしたサバイバルの構造に飲み込まれてしまっているのではないか、と書いた。つまり彼は前世代(と彼が定める)東浩紀の論を徹底的に退ける形で自分の世代について語っていて、その断罪の身振りこそが実は彼自身が退けようとしたサバイバルの最も鮮明な表れなのである。

では、そのような断罪を退けつつポスト・モダン社会の後に訪れる新しい社会の変化を予兆した書物は無いのだろうか?

 

その小さな萌芽が今日語ろうと思う『21世紀のアニメーションが分かる本』にある。

 

なんだアニメーションの本か、なぜこれが世代論の本として取り上げられるんだ、と疑問に思う人もいるかもしれない。しかしこの本に書かれていることは狭義のアニメーションにとどまるのみならず、21世紀の特に2010年代の文化・社会一般をのぞく一つの方法論としても十分に有用なのだと思う。

 

もちろん字数の都合上ここではその内容を全て要約するというわけにはいかないが、もしこの本の思想の核となる部分を読みたければ(禁じ手かもしれないが)、本の中ではインターミッションとして扱われている「21世紀のモード――「私」から「私たち」へ」を読めばよい。もちろんアニメーションの本であるから海外や日本のインディーズアニメーションが例に取られているものの、ここで提示される一つの図式、つまり20世紀型の自立した「私」が崩壊し(書かれてはいないがそこにポスト・モダン社会と俗に言われる「私」の不安の時代を挟んで)それが最終的に「私たち」という21世紀のモードに移り変わっていくことが書かれている。

 

単純に述べるならばこの「私たち」とは決して全体主義のような意味での「私たち」ではない。むしろその内実を見ればそれは正反対であることが分かる。そこで提示されるのは各々がバラバラに、そして好き勝手に動いているように見えるが、しかしそのすべてをも包摂するように世界を覆う大きな器としての「私たち」である。もちろんここでそのすべてを理解することは難しいし、詳しくは本を読んでほしいのだが、そこで提示される「全てを包み込む私たち」という観点は明らかに宇野が『ゼロ年代の想像力』で犯してしまったような脱サバイバル社会をサバイバルの手法で語ってしまうという誤りから脱却している。サバイバル社会を脱するために、何かを断罪することなくそれを構想すること。明らかに本書はその試みに成功している。

 

この本には2020年代を迎えるために私たちが知っておかなければならないことが確かに書いてある。それは何かを無下に断罪することなくすべてを包摂していくその態度である。もしそれを知りたければ、この本は必ず読むべきだ。

 

宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』の書評は以下をクリック。

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』

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1件の返信

  1. 与猶ウィリアム仁 より:

    土居さんの本面白いですよね、僕も『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』なら読みました。その本も面白そう

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