宮沢章夫編 第2回 演劇、フリーター、そして「切ない身体」へ

第2回 演劇、フリーター、そして「切ない身体」へ

――前回は2010年代におけるデモや先生のデモ体験から2010年代について語っていただきました。前回の話の終わりにチェルフィッチュの話にも話題移りましたので今回は演劇と2010年代についてお聞きしたいと思います。まず、宮沢さんの目から見て2010年代の演劇シーンはどのように移りましたか?

やはりチェルフィッチュ以降の時代だな、という感じを強く受けるよね。ポストチェルフィッチュをどのように引き受けるかということが演劇では強く意識されていたと思う。とはいえ、チェルフィッチュの、というか岡田利規の戯曲を読んだときの驚きは正直、すごかったよね。ただその後の、いわば「チェルフィッチュ以後」の演劇に刺激を受けるとは言え、そういった試みは僕の世代なんかはもういいわけです(笑)
真似しようとも思わないし(笑)

 

たしかにその後の若い演劇人への影響は大きかったでしょう。その場合、二段階あったというのが僕の感想で、たとえば、早稲田の学生劇団に「亜人間都市」があるけど、あきらかにチェルフィッチュなんだよね。その徹底した影響下にある。身体へのアプローチにしろ、台詞にしろぱっと見、そうとはいえ、たしかに多少のオリジナリティはあっても背後の部分で岡田利規の方法論の枠組みから出られていないでしょう。面白かったけどね。新しいことというか、独創性を獲得しようと感じた。彼らは去年の「学生演劇コンペ」という早稲田小劇場ドラマ館が催した、早稲田の学生演劇のコンペティションに参加して、ま、僕が審査員……一人しかいないんだけど(笑)、そこで一位に選ばれた。ま、正直、ほかの舞台に新鮮さがなかった、っていうか、だけだったんだけどね(笑)。もっというなら、ほかはかっこ悪かった。

 

そうした小さな動きは各地で起こっていると想像できる。というのも、たとえば1960年代に唐十郎をはじめとするアングラ演劇が登場したら、みんなアングラになったわけだし、九〇年代は平田オリザだよね。ゼロ年代にチェルフィッチュが日本の演劇を牽引した。ただ、平井オリザ以降の「現代口語演劇」という考え方の影響力は大きかったし、「現代口語演劇」的なものは数多く観た。それを一気に引き離したのがチェルフィッチュだと思ったのは、「口語演劇」に縛られなかったことだと思う。

 

チェルフィッチュは、前回も話したように「最後尾の身体」があり、主要な登場人物の、渋谷のホテルに2003年の3月に5日間こもっていた二人がフリーターだったことに意味があると僕は考えていて、ゼロ年代のある時期においてこの身体は社会的な問題だったと思う。

 

平田オリザの劇言語にだけ影響を受けたものは、そこに気がつかなかったと思うし、時代をうまく把握できていなかったと思う。

 

さっき僕が、「チェルフィッチュ以後の演劇に刺激を受けるとは言えそういった試みは僕の世代なんかはもういい」って口にしたのは半分冗談とはいえ(笑)、95年の時点で「身体」のことばかり考えていたからでもある。

 

たしかに、「フリーター」という言葉は僕は書かなかったけど、2000年代以降、小泉政権時代に「非正規雇用」の範囲が大きく変わったことと無縁じゃないよね。2003年に小杉礼子さんが『フリーターという生き方』を刊行し、そこに「フリーター」の定義をこう書いてる。

 

「今、この言葉は多様なニュアンスで用いられている。『まともに仕事をしないでフラフラしている若者』という意味がこめられていることもあれば、正社員になりたいのに就職口がなく、しかたなくアルバイトしている者も『フリーター』を自称している。あるいは、『芸人ですけど、まだ食べてはいけないから、フリーターもしています』といった風にも使われたり、職業を『フリーター』とした四〇歳の既婚女性の投書が新聞に載っていたりする。学生以外でアルバイトで働いている状態全般を指している言葉とも見える。」

 

で、演劇の話に少し戻すと、かつて演劇人っていうのは、俳優座とか、民藝とか文学座みたいな大きな劇団に所属していなければ、たとえば「俳優」として認められていなかったんだよ。それって「正規雇用者」でしょ。正規雇用者じゃなければ俳優じゃなかったとも考えられる。ところがある演劇の本を読んでて大笑いしたのはね、60年代のアングラ演劇を用意したのは産業構造が変わって「アルバイト」が出現したからだっていうんだよ(笑)。笑ったなあ。アルバイトすごいよ。

80年代から90年代にかけて、まだ「フリーター」って言葉にある幻想があった。やはり小杉さんが「現代思想」の20051月号「フリーターとは誰か」のインタビューでやはりこう答えてる。

 

90年代の初め、つまりバブル経済の末期のフリーターというのは、勤め口はいくらでもあるのに、敢えてアルバイトやパートでの就業を選ぶ若者だった」

 

僕もそう考えていた。いまはコンビニでバイトしてますけど、ほんとは演劇をやってますとか、バンドやってますとかみんな希望があったよね。それが変容していることを岡田利規は、自身もアルバイトを経験しながら演劇をしているなかで、「フリーターの身体」を見つけたと思うんだよ。もちろん、演劇の方法論としての「身体技法」があってこそ、それが表現としてすぐれていたと思う。そんなことを岡田君が演劇について書いた『遡行』(河出書房新社)に書いているしね。

では、2004年に『三月の5日間』が上演されて、表面上、いわば超口語演劇というスタイルのチェルフィッチュと岡田利規の作品からさらになにを問題にするか、なにをどのように引き継ぐか、それがいま新しい演劇表現に対して問題意識を持っている若い者らの課題になっていると思うんだよね。

 

――その中で印象に残ったり、面白いと思われた演劇や劇団はありますか?

 

観たことなんだけど(笑)、早稲田の卒業生で「かもめマシーン」って集団を率いている萩原雄太とか。ま、観たことないんだけど(笑)。それからさっきも話した「亜人間都市」の黒木くんとか。ただ、なかなかチェルフィッチュに対して批評性をもって応答した劇団はなかったような気がする。ま、似たようなことをしてもしょうがないでしょう。どうチェルフィッチュを乗り越えるか。それはね、『三月の5日間』における山縣太一という特異な身体からどう解放されるかもあるよね。太一がいてこそあの舞台が成り立っていたのは否定しようもないからね。

だから、2000年代に入って、フリーターの身体を表現の中心にしつつ、また異なる視点から表現する「ポツドール」の三浦大輔は興味深かった。性的なものがあからさまになっていたし、フリーターといっても岡田君が描くそれともまた異なっていた。ま、裸だしね(笑)。舞台でほとんど裸だもん(笑)。演劇の場合、生々しい身体が目の前の舞台上にあるから少しは躊躇するものなんだけど、それをほとんど躊躇しない。嫌悪する人は嫌悪すると思うよ。見世物みたいなものだからね。見世物の復権と言ったのは寺山修司だけど、もっとあたりまえのこととして「人は裸になる場合がある」と三浦君は性的なものを描く。しかし、ドイツは舞台上での裸が平気らしいんだよ。ほとんどの演劇で人が脱ぐらしい(笑)。知らないけど(笑)。

それで三浦大輔が公演をするためにドイツに行ったらしいんだけど、「裸、ああ、そう」って感じで、当たり前に受け止められたっていうんだよ(笑)。

 

――なるほど(笑)

 

She She POPというドイツの劇団を見たことがあるんだけど、役者の後ろに女性二人のバンドがいて、前の役者が全員なにかっていうと脱ぐんだよ。やたら脱ぐ。平然と脱ぐ。それで「脱いんじゃうんだなあ」と思って観てたら最後に後ろにいたバンドの女の子二人も脱ぐんだよ(笑)

 

――それは日本で言うところの風営法に引っかからないのかも気になりますね。観客は何を目当てに行っているのかわからない(笑)

 

それで演劇の、っていうか、裸はともかく、「最後尾の身体」とか「フリーターの身体」の話に戻すと(笑)、えーと、なんだっけ(笑)。そうだ、さっきも話したように、小谷礼子さんが『フリーターという生き方』を刊行したのが2003年。で、2004年にチェルフィッチュの『三月の5日間』が初演され、その翌年2005年に杉田俊介さんの『フリーターにとって自由とは何か』という本が出る。それらを参照しつつ2006年の秋に東大で僕は、「ノイズ文化論講義」をやってるんだよね。それが書籍化されたのが2007年。こうした時代フリーターの社会的な存在も大きな意味があったけど、演劇からのアプローチとしてその身体論についてよく考えていたことを思い出す。

 

宮沢章夫『東京大学「ノイズ文化論」講義』(amazon.comより)

 

――フリーターの身体ということでその特徴とかについてどのように考えられていたのですか?

 

ここ複雑なんだけど、さっき小杉さんのフリーターの定義でも話したように、ある時代まで、それが希望や理想だったし夢への道だと考えられていたよね。僕もそう感じていた。たまたま僕はその後フリーターを経て演劇をはじめ仕事をすることができたけど、それほど単純じゃないってことも学ぶんだよ。むしろ、そうした「夢」や「理想」みたいなのがなにかに搾取されていることに気がついてなかったんだよ。上野俊哉さんと、毛利嘉孝さんが書いた『実践カルチュラル・スタディーズ』にこんなふうにある。

 

「現在、資本はサービスや情報の領域でフレキシブルな労働力をもっとも必要としている。その労働力は、現在日本ではフリーターと呼ばれている若年層がおもに担っている。しかし、フリーターは単に職を見つけられない若者でも、働くのが嫌いな若者でもない。むしろ積極的にフリーターであることを選択した若者である。/この積極的なフリーターを支えるのがたとえば〈クリエイティヴ〉というイデオロギーである。フリーターとは、自分が本当にしたい〈クリエイティヴ〉な仕事をするための仮の姿にすぎない。ロック・ミュージシャンを目指しているコンビニの店員というのは典型的なイメージだろう。しかし、一方でこのことを資本の側からみれば、まさに〈クリエイティヴ〉というイデオロギーの下で、資本が使いやすい安価でフレキシブルな労働力を編成しているにすぎない。実際には、ごくわずかな人間だけが〈クリエイティヴ〉な仕事にありつけるだけで、九割九分の人はそのイデオロギーの中でフレキシブルな労働力に組み込まれていく、というのである。」

 

この「〈クリエイティヴ〉というイデオロギー」を搾取する者はここでも否定されてるんだけど、2000年代半ばになるともっと悲惨だよ。「むしろ積極的にフリーターであることを選択した若者」が減少し、フリーターにしかなれない者が出現する。この頃だよ、「高学歴ワーキングプア」とか、「高学歴ニート」って言葉がよく語られたのは。

このあたりが、「フリーターの身体」の分岐点じゃなかったかな。

 

 

――自らの意思で選び取った身体と、社会的に選ばざるを得なかった身体の違いですね。それは例えば、最近話題である働き方改革であるとか、ほとんど形骸化したプレミアムフライデーなどという2010年代の雇用問題と合わせて考えたときに、2010年代的な変化というのはあったのでしょうか。

 

それで難しいのは、僕は今早稲田大学で教鞭をとっているから、見ている若い世代はほとんど早稲田の学生になってしまう。でも2000年代半ばから顕著になった意味でのフリーターにならざるを得ない身体というのは早稲田にいると見えづらい。もちろん大学にいるあいだに学費をバイトで稼いだり、奨学金をどうやって返済していこうって将来のことを考える学生もいるけどさ、早稲田の学生が就職に悩んでいるって言ったって、いいところに行けるかどうかだろ(笑)。ふざけるな(笑)。

 

結局はほとんどが就職できるじゃない。そうじゃない人たちにこそ「フリーターの身体」は宿ると思うんだけど、一方で演劇をやっている人たちというのは確たる意思をもってやっているし、演劇的な「規律/訓練」によって身体を構築されるから、それもそれで僕には違和感がある。そんな身体でフリーターを演じられるかっていうかさ(笑)。おまえ、デモで言ったら最前列を歩くだろうっていうか、ま、山縣太一が鍛えられていないかっていったらそんなことはないんだけど、過去の演劇の「規律/訓練」では太一には誰もなれないよ。ろくでなしでなきゃ(笑)。

 

この間人気ブロガーのHagex(ハゲックス)を殺した40代の人間がいたじゃない。計算すると彼はちょうど2004年に20代後半だった。その時代にどこにも働く場所が無かったとか会社が潰れたという何かがあって現在に至ったって想像したんだけどね、「高学歴ワーキングプア」なんかのことを考えると、そういう者らは潜在的にかなり存在しているんじゃないかって誰でも想像できるよね。あとね、うちの近くに「切ないコンビニ」があるんだよ(笑)。

 

笑っちゃいけないんだけど、「切ない」って、悲劇であり、チェーホフの視点から考えれば、「喜劇」だからね。とにかく「切ない」んだよ(笑)。なぜ「切ない」かというと、若い人が誰も働いていないんだよ(笑)

 

――ああ、切ない……

 

そこで働いている人たちを見て、ああ、これは会社がつぶれて再就職するまでの間働いているんだな、とか想像するんだ(笑)

 

――それでいえば、引っ越し業者の若い人間に怒られる中年ぐらいのおじさんもまた「切ない」ですよね(笑)

 

そうなんだよ(笑)。立ち食いそば屋なんかでもいるでしょ、若いやつに怒られてる年配の人。切ないんだよ。

 

――そうした「切ない」身体が見えないところに多く存在しているのかもしれないですね。それが事件という形だったり、もしくは「切ないコンビニ」という形でふと僕たちの前に浮上することがある。どうもこのインタビューでは第1回目の「最後尾の身体」といい、今回の「切ない身体」といい、「身体」がフューチャーされているようです。次回はより直接的に「身体」ということについて、2010年代的な問題を絡めながらお聞きしたいと思います。

 (第3回へ続く)

 

宮沢章夫(みやざわ あきお): 劇作家、演出家、小説家。90年、演劇ユニット「遊園地再生事業団」の活動を始め、『ヒネミ』で、岸田戯曲賞受賞。『サーチエンジン・システムクラッシュ』で芥川賞候補、『時間のかかる読書』で伊藤整文学賞受賞。

 

第1回目はこちらからお読みいただけます。

 

 

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