宮沢章夫編 第1回 掛川3人デモ、暑そうな機動隊、あるいは「最後尾の身体」

 

終わろうとしている2010年代についてそれぞれの私見から新しい2010年代観を語っていただくシリーズ「2010年代を語る」。

初回は劇作家で小説家、また『東京大学「80年代地文化論」講義』やテレビ番組『ニッポン戦後サブカルチャー史』で評論家としても特異な活動をなさっている宮沢章夫さんへのインタビューです。様々なサブカルチャーに精通なさっている宮沢さんだからこそ見えてくる2010年代のまた異なる様相をお楽しみください。(聞き手、構成:谷頭 和希)

 

――まず、2010年代の私的な印象を教えていただきたいです。

 

相模原障がい者施設襲撃事件(2016)やヘイトスピーチの増加に代表されると思うんだけど、今までそのような差別意識を内的に持っている人がいなかったとは否定できないよね。うっすらとそれを自覚し、ある人は無自覚だったし、またべつの人は意識的に差別する自分を否定していた。ところが2000年代に入ってから、それをあからさまに言ってしまう者とか、主張する者が表れたことに驚いた。驚くっていうより、もっと強く震撼するわけですね。特に相模原の犯人なんてはっきり言うじゃない。「障害者は社会にとって存在する価値がない」といった意味のことを。その空気感の変化は印象に残っている。

 

 

――それでいうと、主張の方向は別ですがSHEAL’Sが話題になったのも2015年ですね。主張は異なれど内的な主張を表に出すようになったということはあるかもしれません。200年代後半から、Twitter(08)やLine(11)、Instagram(10)などいわゆるSNSが次々にリリースされて生活に浸透していったと思うのですがそういう雰囲気はやはりそうした情報メディアの発達も絡んできているんでしょうか?

 

そうだね。Twitterでそれまではばらばらに存在していた人間が繋がりあうことでヘイトや排外主義が非常に強まったということがあり、同様にSHEAL’Sのような運動も生まれたでしょう。彼らが参加するデモにも何度か行ったし、ドキュメンタリー映画のコメントも書いたんだけど、映画を見て印象的だったのはシールズのスピーチを見ていると皆スマホで文章を読むんだよ(笑)

それいいなあと思って。僕もある朗読会みたいな催しに行ったときに、ま、一般的には紙にプリントアウトしたものを読むんだけど、スマホで文章を読んでみた。しかし字が小さくて読みにくかったという……。

 

 

――あ、でもスマホは拡大できますよ。

 

宮沢:あ、そうか(笑)

 

――デモの形もそういうようなことで変わってきているんでしょうね。過去の1960年代にあったようなデモは宮沢さんも見られてないですよね?

 

1960年代はまだ子どもだったからね。高校ぐらいになるとデモを間近で見たり、あまり語ったことがないけど自分も参加してたし……、ただ生で見たのは小学生のときだね。僕の実家のすぐそばに掛川西高等学校があって、60年代末に生徒がデモしていたのを見たのが最初のデモとの遭遇かな。だけど、デモって言っても3人ぐらいのしょぼい規模だったけどね

 

――素人の乱1ですね(笑)

 

あ、3人デモだ…!そこにあったのか、3人デモの原型が(笑)。

素人の乱の動画

 

 

――まさか掛川にルーツがあったとは……。それは何を訴えていたんですか?

 

たぶん高校解放とか、規則への造反とか、反戦て主張もあったのかな

 

 

――それが初デモ体験であると。

 

そうだね、初デモ体験。

 

 

――2010年代に入ってからデモには行かれましたか?

 

2011年以降の反原発デモにはよく足を運んだけど、印象に残ってるのは、2013年の6月。ヘイトデモへのカウンターに行ってるんだよね。それでこのあいだ、その日に書いたTwitterを見たら笑っちゃった。すごく暑い日だったんだよ。で、機動隊が俺たちカウンター側を進めないように圧してくる。彼らはすごくがっちりした服を着ているから機動隊員に「暑くない?」って聞いちゃったんだよね。

 

 

――(笑)

 

俺は、短パンとTシャツだったからね、短パンはいいぞおって主張したんだよ。そしたら若い機動隊員だったけど、真面目に「暑くないです」って答えたんだよ(笑)。

それで俺と言葉を交わしたせいなのか、その真面目な機動隊員、上司に頭を殴られてた(笑)。

 

 

――それは暑いですよね、実際(笑)
いや、でもその話、なんかいい話ですね(笑)
体は暑いのにでも暑いと言えないような雰囲気というか意識とのずれに僕たちは笑っているんですよね。これは後でも話題に出そうと思っていたのですが、2010年代はどことなくみんながみんな真面目になっているような気がして、広い視野を持てる心の余裕がないというか、それが最初に話していた排外主義にもつながっているような気がしています。

 

その話でいうと、チェルフィッチュ2の『3月の五日間』が2017年に再演されたじゃない?初演は2004年だったんだけど、戯曲を書いた岡田利規の中にも2004年の状況と現在を比べたとき、あの時代には客観化できたことがべつの姿に見えたんじゃないかな。それで強い危機感を感じていたんだと思う。例えば2004年度版ではデモ隊の後ろで歩いているどちらかといえばやる気の無い人を描いていたんだけど、今回は無かったんだよね。岡田君はそうしたデモの最後の方にいる人々を否定しているのではなくて、2004年度版ではそれを描くことで社会の一端を表現した。だけど、ああいう描き方では現在は描けないと思ったんじゃないかな。もしくはそうした身体が無いのかもしれない。

 

 

――2004年の時には何となくデモにいる人がいたんだけれども、2017年のSHEALD’Sとかその他のデモは真面目で、「何となく」いる人がいなくなってしまったということですよね。

 

そう、最後尾の人を描けなくなった。「最後尾の身体」が消滅していったんじゃないかな。

 

 

――最後尾の身体、いいですね。語呂がいい(笑)
宮沢さんもどちらかというと「最後尾の身体」をお持ちですよね。それに掛川の3人デモも当人たちは本気なんでしょうが、何だか緩く見えてしまうし、素人の乱はまさに「最後尾の身体」を意図的に行っていたといえる。

 

確かに。でも、掛川の3人デモは本気でやっていながら、いま考えると、「最後尾の身体」になっているのが切ないよね。なにかに刺激された地方の高校生が60年代的なデモの形だけ真似するって感じがある。「最後尾の身体」ってタイトルでなんか書こうかな(笑)。肯定的な、新しい身体感としてね。

 

――せっかく演劇の話も出たことですし、次回は宮沢さんの専門フィールドである演劇についてもご質問していこうと思います。

 

(第2回へ続く)

 

 

1松本哉を中心とする東京都杉並区高円寺のリサイクルショップ。同じく松本を中心として結成された貧乏人大反乱集団を母体として生まれ、その貧乏人体反乱集団が行ったデモが「三人デモ」である(動画参照)。

  2劇作家岡田利規が2001年に結成した演劇ユニット。その独特なセリフ回しと身体動作で超口語演劇と呼ばれる独特な演劇を作り上げた。代表作に『三月の5日間』などがある。

 

宮沢章夫(みやざわ あきお): 劇作家、演出家、小説家。90年、演劇ユニット「遊園地再生事業団」の活動を始め、『ヒネミ』で、岸田戯曲賞受賞。『サーチエンジン・システムクラッシュ』で芥川賞候補、『時間のかかる読書』で伊藤整文学賞受賞。

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