マンネリと悪趣味~カクテルの王様と007(第2回 酒ほど忌まわしいものはない)

007作品を全く見たことがないという人間はおそらく存在しないだろう。もちろん通して見たことがないということはあるだろうが、ほんのワンシーンだったり、あるいはかの有名な「テレッレレーレレーレー」というテーマ曲だったりに限れば、何らかの形で目にしたり、耳にしたりしているだろう。

 

作品名と同じ「007」をコードネームにもつ主人公ジェームズ・ボンドはこのようにあまりに有名なので、「世界一よく知られたスパイ」という、およそスパイにあるまじき称号にあやかっている。

 

「007シリーズって有名だけど一作品も見たことがないんです」「続きものなんですか?」「どんなテーマ性があるんですか?」というような疑問のある方々に向けて007シリーズのあらすじを簡単に紹介するなら、「英国諜報部のエースが、高級スーツを着て、高級車を乗り回し、美女をウインクひとつで陥落させ、秘密兵器を駆使して、悪役を倒す」といった具合になるだろう。これにいささか肉付けをすると、「英国諜報部のエースが、隠密行動をする気を微塵も感じさせないスタイリッシュな高級スーツを着て、毎回スクラップになることがわかりきっているにも関わらず、寛大な心をもってスポンサーが提供してくれる高級車を乗り回し(そしてやはりスクラップにし)、あまりに簡単にボンドになびき、およそ主体性がなく、まるで小道具のひとつであるかのように扱われているために脚本家に女性蔑視的だと文句の一つもつけてやりたくなるような美女を陥落させ、その場面以外では絶対に使い道がないであろうご都合主義全開で荒唐無稽な秘密道具を駆使して、「中学生が考えた世界征服」を地で行くような誇大妄想たくましい悪役を倒す」というプロットになる。これがシリーズ全二十数作品で(懲りもせず)繰り返されるのである。だーいたい話の筋いっしょ。映画のテーマ性?そんなものは無い。

 

そういうわけでボンド映画は「俺たちはエンタメをやるぜ!」と割り切っているのである。『水戸黄門』で開始45分たつと必ず印籠が出てくるように、ボンド映画では開始45分で美女とお楽しみになり、60分前後でアストンマーチンが廃車になる。このようにボンド映画の強みは「安心のテンプレート」「キタキタお約束」である。

 

この「お約束」の一つが、ボンドがカクテルを頼むシーンで放つ名台詞、

 

「Vodka Martini, Shaken, not stirred.(ウォッカ・マティーニ、ステアじゃなくシェイクで)」

 

である。

 

本来はジンをベースにベルモットをステア(マドラーでかき混ぜること)して作るマティーニを、ウォッカベースに変えた挙げ句にシェイクさせるというキザな変化球で、そのへんのうだつのあがらないサラリーマンがやったらバーテンダーに鼻で笑われそうな注文であり、非凡な男ジェームズ・ボンドを演出する効果的かつ端的な、そして洒落た小道具のひとつである。ボンドが何食わぬ顔でこの台詞を放つとき、観客は「いやはや驚いた、やっぱりボンドほどの男は違うねえ」とシビレるのだ。

 

「カクテルの王様」マティーニ(Mix the cocktailより)

が、しかし、である。

 

ここで不思議なことが起こる。この「ウォッカ・マティーニ」は、「お約束」であるのだから当然ではあるが、毎回毎回繰り返し登場するのである。その度に観客は「いやはや驚いた」を繰り返すのだ。あたかもパブロフの犬のようである。

 

観客はバカなのだろうか?

 

もちろん、この台詞が初登場したシリーズ3作目の『007ゴールドフィンガー』(64年)においては、さぞ斬新であっただろう。しかし、それ以降の二十数作品、五十数年を経る中で、この「意表を突く秘密兵器」は「お約束」になった。その間に、シェイクしたウォッカ・マティーニをボンド気取りで注文してバーテンダーに内心で笑われた愚か者も星の数ほどいるだろう(私もその一人である)。にもかかわらず、今日に至ってなお、ボンドムービーが封切られる度に「さすがボンド」とやるのである。「さすがボンドだぜ(ま、俺もやったことあるけど)」とボンドと後出しジャンケン的に同一化を図るという滑稽なナルシシズムであろうか?なるほど、高級スーツにも高級車にも美女にも縁が無い、私を筆頭とする大半の男にとっては、唯一真似できるボンドの振る舞いがこの「ウォッカ・マティーニ」であるし、あこがれのヒーローの真似をしたくなるのは、全てのオトコノコにゆりかごから墓場までついて回る宿痾なのだから、無理もない。

 

だが、それだけではあるまい。

 

なぜボンドは「ウォッカ・マティーニ」を頼むのか?作劇上のメタ的な理由で言えば、なぜボンドはこの注文をし続けなければならないのか?

ここで重要なことは、ボンドは普通ではないということだ。これは先述の「非凡な男」ということとは違う。この「普通ではない」とは、伝統という安全地帯から飛び出す反骨精神を備えているという意味である。例を挙げてみよう。ボンドの服装というと、いわゆる英国紳士然としているものとイメージする人も多いが、その実態はかなりヒネリの効いたモノになっている。英国伝統のノット(ネクタイの結び方)であるウィンザー・ノットを「ウィンザー・ノットにしている奴は信用できない」とこき下ろしてシングル・ノット(これも結び方の一種)で通し、時計には本来ダイビングの際に使うダイバーズ・ウォッチを合わせるし、スーツには紐靴を合わせなければならないというルールを破って、靴ひものない簡易な靴であるスリッポンにしてしまうこともある。このように、ボンドファッションは、正統派英国紳士という王道からは逸脱している。

 

シングルノット(プレーンノット)

 

ウィンザーノット(『ネクタイの結び方』より)

 

しかし、それでは奇抜一辺倒かというとそういうわけではない。ネクタイは外さないという伝統をボンドは忠実に守る(もちろん美女と懇ろになる時は別)し、ジャケットを脱ぐこともない。これが「カッコイイ」のである。伝統と革新の間で揺れ動き、伝統を熟知し尊重するそぶりを見せながら、それをスマートに破る機会を窺い、ここぞという時にやってみせる。これがボンドのボンドたる所以である。伝統あるメーカーの名車に、ミサイルを搭載したり潜水艇に変形したりといった、頭の悪い改造を施してみたりする。あるいは、「カクテルの王」ことマティーニで、ベースや混ぜ方を変えて悪ふざけしてみせる。

 

守っていれば安全だから、と伝統を墨守するだけではダメなのだ。シャツにセーターにスラックスという「お行儀の良い」組み合わせを何も考えずにやってしまうと「セックスアピールのないお坊ちゃま」になってしまうのはその一例だ。映画の父デイヴィッド・グリフィスが「映画とは女と銃である」と言ったように、官能とは死を孕んだ生である。危険に身をさらすことなしに官能はありえない。「ヒトサマになんと言われるか分からない」ような危険を冒さねばならないのだ。いわゆる「ハズシ」や「ヒネリ」が必要なのである。ただ単に「マティーニ」と頼むボンドなんてつまらないではないか。しかし、ひねりすぎると今度は嫌みになる。原宿に跋扈する「オシャレさん」達があまりオシャレに見えないのはこのためだ。彼ら彼女らには、ボンドが一応にでも尊重するポーズをとっていた「伝統」がない。「型破り」なのではなく「型無し」なのだ。官能を引き起こす危険は、伝統やルールを守ることで積み重ねてきたモノを自らの手で崩すことから生まれるのである。セオリーを持たない者に危険はない。悪ふざけが許されるのは、マティーニが王様だからである。

 

こう考えていくと、ファッション雑誌に頻出する「ハズシのテクニック特集」だの、就活生向けの「面接で印象を残す意外性のある返し○○選」といった記事だのはお笑い草である。マニュアル化されていないからこそハズシなのだ。失敗しないようマニュアル化された危険など自己矛盾ではないか。万人が「そのハズシはセンスがあるね」と褒めそやすようなハズシは、もはやセオリーである。

 

が、しかし、である。

 

再びしかしである。なんと他ならぬボンド映画がこの罠にはまってしまっているのだ。なるほど、英国伝統のスーツにダイバーズ・ウォッチを合わせ、カクテルの王マティーニをアレンジするのは、はじめこそ危険を冒していただろう。しかし、そのリスクの取り方があまりに魅力的であったがために、高く評価され、多くの人間がそのスタイルを真似るようになったとき、それはもはやセオリーとなってしまう。事実、スーツにダイバーズの組み合わせも、シェイクしたウォッカ・マティーニも、もうあまり目くじらをたてられるようなものでもない。むしろ「(お前に似つかわしいかわともかくとして)そのハズシはセンスがいいね」と多くが口をそろえる。だが、他のセオリー化したハズシとは異なり、そのルーツが「あのボンド映画がはじめてやったハズシ」であるがゆえに、そのハズシは聖域化されて、そこにある種の擬似的な斬新性が複製のように残存することとなった。その反射的効果として、ボンド映画の<原典>においてもその斬新性がコード化され、そのシーンが登場すると、観客は「キタキタお約束」と同時に「斬新性」を感じるのである。いわば、観客と脚本の共犯関係が生み出した「斬新なマンネリ」である。それは両者に「安全地帯での冒険」をもたらした。これほど楽でありがたいことはあるまい。この「安全地帯での冒険」をしていれば、セオリー通りすぎてつまらないとなじられることも、ハズシすぎて悪趣味だと批判されることもないのである。なんということだろうか。この「偉大なるマンネリ」をどう破ればいいというのか。ボンドに何を飲ませたら観客を心底驚かせることができるだろうか。もういっそホッピーとかどうだろう?「ホッピー、サーバーじゃなく瓶で」とかじゃダメ?何、それじゃジェームズ・ボンドじゃなくて高倉健?うーむ、やはり冒険をするのは難しい・・・。

 

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司法☆ 浪人

司法☆ 浪人

早稲田大学法学部に在籍...するも社会科学と人文科学の間で迷子になっている。実存主義を拗らせており自己紹介が苦手。血迷って司法試験を受け続けているが例年玉砕に終わっている。口癖は「これが浪人か、ならばもう一度」。血の気が多く、コンテクストを無視してあらゆることをロマン主義的に解釈する悪癖がある。好きな思想家はセネカ、シュティルナー、ニーチェ。
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早稲田大学法学部に在籍...するも社会科学と人文科学の間で迷子になっている。実存主義を拗らせており自己紹介が苦手。血迷って司法試験を受け続けているが例年玉砕に終わっている。口癖は「これが浪人か、ならばもう一度」。血の気が多く、コンテクストを無視してあらゆることをロマン主義的に解釈する悪癖がある。好きな思想家はセネカ、シュティルナー、ニーチェ。

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