渋谷すばるはジャスティン・ティンバーレイクになれるか?

 

渋谷すばるの関ジャニ∞脱退発表から約3か月。7月8日、彼は「関ジャム 完全燃SHOW」で最後の音楽番組出演を果たした。

 

その二日前の「ミュージックステーション」や「THE MUSIC DAY」といった大型の歌番組があったにも関わらず、深夜番組である「関ジャム」を最後の出演を選んだのである。

渋谷がこの番組に深い思い入れがあったことがうかがえる。

 

 

そんな「渋谷すばる最終回」は、関ジャニ∞とゲストミュージシャンたちが番組内で行ったセッションの傑作選からスタートした。

 

名だたるミュージシャンとのセッションが流れる中、ひときわ渋谷が熱く語っていたのは久保田利伸の歌唱力に圧倒されたエピソードだ。

彼の「久保田さんの歌に圧倒されて自分はまだまだだなと思った」という言葉からは、この番組によって「音楽を勉強したい」という想いが芽生えてきたのではないか?と思わずにはいられなかった。

 

そして関ジャニ∞の曲から「無責任ヒーロー」、「大阪ロマネスク」、「LIFE 〜目の前の向こうへ〜」の3曲を生演奏した。

特にメンバー7人の演奏のみで披露された「LIFE」は、バンドとしての矜持が感じられるような熱のこもった音と歌が心に響いた。

関ジャニ∞を熱心に観てこなかった人にも伝わるような熱量を最後にみせたのである。

(過去の『LIFE』の演奏動画)

 

番組が終わり、ふと考えた。「渋谷すばるはこれからどうするのか?」と。

古今東西、様々なボーイズグループからメンバーが脱退してきた。例に挙げるのも野暮なくらいだ。アメリカだろうが、イギリスだろうが、韓国だろうが世界中のグループで、脱退は繰り返される。今や東方神起のメンバーが何人いたかなんて思い出せる人はいない。

 

脱退後のソロ活動でボーイズグループの時代より成功した人は数少ない。

 

しかし、彼のロールモデルとなるようなシンガーがアメリカにいる。

ジャスティン・ティンバーレイクだ。

90年代に、子供番組「ミッキーマウス・クラブ」の出演者として芸能界入りした彼は95年にアメリカのボーイズグループ「イン・シンク」のリードヴォーカルとしてデビュー。

R&Bやヒップホップを取り入れたサウンドで、他のアイドルグループと一線を画すような活動をしていたのだ。

ジャスティンはグループのメインボーカルとして甘いマスクと洗練されたダンス、なにより高音から低音まで歌いこなす圧倒的な歌唱力で人気を博した。

 

2002年、ソロに転身することを決意したジャスティンは、プロデューサーにファレル・ウィリアムスらを迎え大ヒットを飛ばす。

名プロデューサーやR&Bの最先端を知るソングライターと仕事をするうちに彼の音楽的才能は磨かれていき、ついにはアメリカを代表するポップスターになったのである。

 

タレントとして芸能界に入り、独特な声を持ったヴォーカルとダンス。ジャスティンと渋谷は共通点が多数ある。

(しかも、イン・シンクも関ジャニ∞と同じく正統派なアイドルグループではなかった。)

 

ジャスティンはR&Bをルーツとして活動していたが、渋谷のルーツはブルースとパンク。ハイロウズやクロマニヨンズである。

 

ここはひとつ、世界中で音楽修行をした暁には、渋いブルースアルバムをリリースして欲しい。

プロデューサーにはクロマニヨンズの真島昌利やサンボマスターの山口隆、トータス松本。小山田壮平のような同世代のミュージシャンたちと楽曲を制作…という豪華なアルバムを夢想してしまう。

 

 

そういえばジャスティン・ティンバーレイクが生まれたテネシー州には、メンフィスというブルースの街がある。

アメリカの乾いた風を浴びて、数年後アルバムを作ってひょっこり日本に帰って来る姿を見てみたいのだ。

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吉田 ボブ
サザンオールスターズを子守唄にして育ち、マイケル・ジャクソンによって音楽に目覚める。 音楽、野球、映画、アイドルを横断歴に論じる。TAP the POPにて隔週で連載 年2回発行されるフリーペーパー「WASEDA LINKS」編集長
吉田 ボブ

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サザンオールスターズを子守唄にして育ち、マイケル・ジャクソンによって音楽に目覚める。 音楽、野球、映画、アイドルを横断歴に論じる。TAP the POPにて隔週で連載 年2回発行されるフリーペーパー「WASEDA LINKS」編集長

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